ちょっと気になっていた事を軽く調べた。
「分かる」は漢字が正しいのかどうかだ。
今まで気にも留めず「分かる」を使い続けてきたが、
考えれば「分」という字に「理解する」の意味があると断言出来る自信が無い。
「分断」「分割」などを示す「分かつ」の音が、「判る」「解る」と似ているから一緒くたになっているのではないか、と。
なお、「分かる」が正しいか否か、別段そこまで気になっていた訳では無い。
実際「分かる」が間違っていようが、このまま「分かる」を使い続けようと考えていたくらいだ。
気になると言えば、むしろ「以外」と「意外」の方だ。
許しがたいとまでは思わないが、数ある誤変換の中で、これだけは気になるのだ。
それが何故かは分からない。だが気になる。
まあ世の中には、「あまり間違いは気にしないが、必を左から書く人は信じられない」とか、
「正しい日本語がどうこうとは言わないが、こんにちわは撲滅したい」という人もいるので、
人間そういう誤変換・間違いの何か1つは気になるのが自然なのかもしれないけど。
それはさておき、まず、広辞苑第五版で「わかる」を調べた。
以前にも調べた記憶があったが、念のため再度調べた。
わかる【分かる・別る・判る・解る】 と書かれており、また「分かる」に「理解する」の意味が無いとは書かれていなかった。
と、すれば「分かる」は正しいという事になるが、それがどうにも腑に落ちない。
「分かる」が「判る」等と混同され始めた時代が古く、広辞苑作成の時点では既に一般に浸透していたのでは? とも思ったので。
次に、新明解漢和辞典第四版で「分」を調べた。
こちらは広辞苑と違い、調べるのは初めて。
早速「分」のページを開く。206ページ。
【分】分 漢フン (平)文 呉ブン (去)問 慣ブン・ブ (上)吻 (中略)ワかるイ:理解する ロ:明らかになる(後略)
他、明瞭という意味の「分明」という語が、「史記」の始皇紀に「貴賤分明」という言葉で出てくるそうだ。
明瞭の意味が「あきらかであること。はっきりしていること。(広辞苑第五版より)」であり、
「分ける」ではなく「理解する」の意味だから、史記の時代には既に「分」には「理解する」の意味があったと考えて良いだろう。
なお、「イ:」「 ロ:」は、実際には○の中にイの字、ロの字が入った字。
となれば、「分かる」には「理解する」の意味があると考えるべきだろうし、
例え間違っていたとしても、これはもはや時効なのではないだろうか?
「豆腐」と「納豆」の名前が入れ替わったからと言って、<追記>これは諸説あり、確定ではなかった</追記>
今現在本来の名称で呼んでいる人は聞かないし、「新しい」を「あらたしい」と発音する人を見た事も無い。
というか正直これ以上の事は、間違った日本語で溢れるこのサイトでは手におえません。
より詳しく調べたい人は、何処かちゃんと日本語を研究しているサイトを訪れる事をお薦めします。