・記憶は美化されるものだと改めて感じた。
3月28日午前4:00頃、ハートバザールのジギタリスを数ヶ月ぶりに聴いて愕然。こんな歌声だったものか。
どのような歌かはぐぐっていただくとして、自分的好きな歌ランキング上位に位置していただけにショックだった。
「好きな歌なのに数ヶ月も聴いていなかったのか」との意見もあるだろうが、音楽を聴くという行動パターンは日常生活に組み込まれていない。
正確には脳内で好きな時に再生して聴いているものであり、記憶が薄れてきた時やオリジナルに触れたくなった時のみCDを再生するものである。
つまり脳内で再生を繰り返す事が次第にオリジナルを自分好みに仕立て上げてしまい、あまりにオリジナルとかけ離れた姿になっていたのだ。
しかしその事実に気付かず変貌した曲をオリジナルと思い込んだままオリジナルに触れた俺は、大変ショックを受けたのだ。というお話。
なお、今回オリジナルを聴いたきっかけは他人が音楽について色々語っている文章に影響されたが故で、今度ツタヤに行こうと思いました。
ハートバザールのCDが見付かれば良いのだが、マイナーかつ解散したとあっては、その可能性は低いだろう。というか前にも探したしな。
だが次のツタヤ来訪の際における主目的はハバザではない。洋楽を聴かんと向かうのだ。
誰に恥じるものかは分からないが、今までまともに洋楽を聴いた事が無いのは恥ずかしい限りだ。
というのは俺が洋楽とは高校生までには目覚めるものとの自分勝手に作り上げたイメージに縛られているからだろう。バカじゃねーの俺。
洋楽を好もうとも好まざるとも人の勝手だというのに、先日のリンクの件同様、人からどう見られるかのみを判断基準にしてしまっている。
それでは物事の本質があれだというか、つまりそれは良くないと思う。良くないように感じる。俺好みではないようだ。
しかし俺がどうにも肯定的に感じないだけで、人からの評価を絶対基準として生きていく事も一つの選択だろう。
さて、そろそろまとまりがなくなってきた。さすが夜中に書くだけのことはある。まとめ。
・ハートバザールは良い。
・奥井亜紀は良い。しかし何故こないだライブにいかなかったのか。俺はもっと行動するべきだ。
・俺にはもっと音楽を聴く時間が必要だ。
・今度ツタヤに行って借りる。洋楽(何を借りるかは決まっている)とか。片腕カンフーとか少女革命ウテナとか。
・「あ孟子か!」と「母さんが言う〜」のCDも借りてこよう。
・曙の戦などのテレビ番組を見る。クエがMVPだった。