自意識過剰で後ろ向き日記

毎日新聞アサッテ君を描いている東海林さだおがタンマ君を連載している週刊文春に掲載されてる聖主婦ハルコの先週分に、

力強く「残念!」と言ったらそんなつもりは無いのにギター侍の物真似と誤解されてしまうというネタがあった。

つまり李下に冠を正さずというか、下手に流行に乗ったと勘違いされるのは嫌ですねという話。

そういえばかってに改蔵でもワンピースおばさんってネタがあったなぁ。


という訳で本当ならタイトルは「俺死ね」にしようかと思ったんだけど、

これじゃまるで「俺のためなら死ねる」みたいな今現在なのでタイトルは変えましたよ、と。

まあ「健康のためなら死ねる」くらいにおかしな言葉だけど。

しかし「君は死ね」と言いたくて「君死ね」と言ったら意味が真逆になるこんな世の中。

まあ相手に死ね言う人は、相手を君なんて言わないだろうけど。お前とか。

それはそれで「お前のためなら死ねる」が成立しそうだなぁ。どうしようもないな。


なんか非常に開幕から話がずれましたけれど、つまり俺は死ね。バカじゃねーの。


・ところで世間一般では誕生日とかは喜ぶべき日なのですねとか。世間とのずれを強く感じる今日この頃。

つーか20歳過ぎたら、年取るメリットあと何も無いだろ。選挙出馬する予定も無いし。

まあ年金支給はメリットかもしれないけど、年金制度破綻の可能性が皆無であるとしても、

そんなの期待しないでいられるような生活基盤を築いておけ! って言われそうだよなぁ。


なんかまた言いたい事からずれている。

つまり、ウェブサイト何周年とかってめでたいことなのか?

時間は誰にとっても平等だよ? 更新しなかろうが閉鎖しなけりゃ自動的に訪れるものじゃん。

閉鎖しても復活できるし、誕生日の「今日まで生きてこられたことに感謝」って意味合いも薄いしさぁ。

そういう訳でここ数年人の誕生日すらも祝ってなかったんですが、それってすげー失礼な事だったんだなぁと今更自覚。

俺にとっては年食う嫌な日でも、俺以外の人にとってはめでたいのだ! 人の誕生日にはおめでとうと言え俺。


じゃない、またまた本筋からずれてる。

本当に言いたい事は、なんかこのサイト2周年ですけど、めでたい要素が1つも無いぜ! って事です。

つーかこの2年間このサイト何やってきたんだかと鬱になるよ。