感動した話の続き

・その矛先が俺に向いて欲しいとは思いませんが、

種類によっては悪意というのも感動的なものだと思います。

具体的に言えば、あのソーシャルネットワーキングサイトとかは既に会員となった人の紹介無しでは登録できないもののはずですが、

そこの中でも業者の宣伝目的として生まれたアカウントがある事には分類できない種類の感動を覚えます。

その原因を自分に向けて説明すべく努力すると、

オンラインのものに自然現象はあり得ないし、SNSが生誕時に100%善意だったとするなら、

つまりどこかで、「SNSを金儲けに使ってしまおう」 と考えた人が紛れ込んでいるわけですよね?

しかしその人もまた既存会員の誰かに寄って招かれたものな訳で、

侵入者の胸のうちを想像するとなんか楽しいので感動するのではないでしょうか? 多分違います。


あとこれは悪意とは関係ないんですが、

そのSNSとか最近のブログとかでは、特定の誰が自分ページにアクセスしたかを把握できる機能があるそうじゃないですか。

そういった場であの 「強制バトン(見た人はそのバトンに回答することを強制される)」 とか回すあたりの根性は感動的だなあと思います。

もちろんその強制バトンがお遊びに過ぎず、何の強制力も持たないアイテムである事は理解していますが、

それでも 「回答強制」 とのルールを持ったバトンを、その個人特定アクセス解析のあるとこで回すというのが、素敵だな、と。


バトンついでにメモ記述。

今まではバトンとか100の質問とか好きじゃあなかっただったんです。

なんで自己紹介するのに他人が用意したテンプレを使うんだ? という見地の元に。

ただ、これの考え方が最近変わってきまして、

要するにこれは自己紹介アイテムと捉えていたので妙に落ち着かなかったのであって、

「自分が知りたい事項をバトンだの質問だのにしたため、そいつに回答させて統計を得るツール」 と捉えれば落ち着きました。

実際他の人が、少女革命ウテナでどの決闘が好きかを効率良く知る事が出来たので良かったです。